活動報告

震災1年後の陸前高田市へボランティアに行きました

 私は昨年5月19日から24日まで、日本共産党大阪府震災対策本部の震災ボランティアに折口勲府政対策委員長と松岡ちひろ市政対策部長と参加し、現地の被災者の皆さんと交流し、たくさんのものを得ることができました。
「震災から一年が経過して陸前高田市はどうなったか」どうしても、この目で見たいと思い、日本共産党堺地区委員会の3月18・19日のボランティアの3月19日(月)に一日だけでしたが、東京で就職した息子Jrと4月から東京の病院に就職が決まった甥っ子と3人で参加しました。
枚方からは昨年秋にボランティアに行った法月さんが参加しました。
陸前高田市の社会福祉協議会が運営するボランティアセンターに8時半に集合、全国から集まったボランティアの皆さん、約40人。堺地区委員会の5人と私のJrと甥っ子の7人が登録しました。
はじめに事務局から「くれぐれも無理をしないように、怪我には十分気をつけて」などの諸注意の後、あらかじめボランティア保険に加入していることを前提に個人参加のボランティアの登録をして仕事のマッチングをしました。
野口Jrの感想は
「重いコンクリートを持ち運んだり、スコップで大量の泥をすくったりと予想以上にしんどい作業だった。しかし、作業終了後、ほぼ元通りになった側溝を見て、小さなことでもコツコツ続けていくことが大事なのだと感じた。また、一緒に作業をした参加者と交流する中で情報交換もでき、刺激を受けた。東北の人々は、皆親切で、優しくて、楽しい。この人たちのためにも、またこれからもできる限りボランティアに参加したい。」

おじさん6人は全部で50箇所、2200世帯ある仮設住宅の中で、配布できていない仮設住宅20箇所に800枚の「陸前たかた民報」を配布しました。陸前高田市議会での3人の共産党議員の活躍を報告しています。特に国民の大きな怒りを呼んでいる消費税増税問題について消費税10%は「被災地の復興に悪影響」との回答などを紹介しています。
 あと二つで終了という時、担当分をまき終えて「そういえば昨年ボランティアでお手伝いした熊谷さんの家も仮設住宅、確かお礼にともらったハガキを携帯電話のギャラリーに保存していたことを思い出し見ると「米崎中学校」と書いてあり「米崎中学校の仮設住宅行きましたっけ?」と聞くと、「ここが米崎中学校です」と言われビックリ!さっそく仮設住宅のお宅を訪ねましたが、留守。「この時間なら作業場にいると思います」と地元スタッフが言ってくれて、みんなで昨年ボランティアで復旧作業した場所へ行きました。

熊谷さん夫婦と再会
 行ってみると熊谷のおばちゃんがいました。作業していたおじちゃんも出てきてくれて、再会を喜び合いました。
復旧の状況を聞くと、作業小屋の前の瓦礫の畑は米崎中学校が建て替える間のグランドになる。海辺の工場は処理した瓦礫の置き場所として3年間、国に貸すと言うことでした。貝の養殖も種をつけて4月にうまいこといっていれば3年後には商品化できるようになる。それにあわせて工場を再建するための資金を国に申し込んでいるが「当たればいいのだが」とのこと。何と宝くじのように確立が低い資金支援、国は一体何をしているのかと思いました。
 陸前高田市は依然として厳しい状況でした。息長い支援と、国の全面的な支援が必要だということを1年後の被災地を訪ねて痛感しました。

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